かぼの脳内。

友なし、金なし、色気なし。それでも「幸せ」になりたくて。

憂鬱で動けない日。ずる休みのできない人間。

 昨日は布団から出るのにとても苦労しました。

三連休明け火曜日。起きなければいけないのに、動かない体。スマートフォンの時計に急かされ、やっとのことで体を起こすも、いつもより一時間遅い起床となりました。

 36.8℃。平熱が36.3℃程度の私には休める体温ではありません。

こんな時多くの人はどのように自分の心を奮い立たせて、仕事の準備をし、玄関の扉を開けるのでしょうか。考えだすとしょうもないほど後ろ向きな思考になる私。

(先月体調不良で休んだしな。有給何日残っているのだっけ。行きたくない。なんで行かないといけないのだろう。職場の人に会いたくない。しんどい。なんのために働いて、何を目指しているのだろう。)

朝の数十分で考えても無駄なことですし、そんな時に考えても良い答えが出せないのは分かっています。でも何か仕事を休む良い口実はないものか、あわよくば私自身を騙せるような、罪悪感のないアイデアは出ないものかと考えてしまうのです。

 ずる休みのできない人間は生きづらいです。

きっと休んでも会社は大して困らないのでしょう。私の仕事は誰かが代わりにやって、うまく回っていくのでしょう。ただ、自分自身がずる休みをした自分を見ているのです。休んだ次の日出勤した時、

「すみません、熱がでてしまって。ご迷惑をおかけしました。」

と、平然と言うことができないのです。きっとばつが悪い表情を浮かべてしまう。そんなことが想像できる時点で、そこまでして休もうとは思えなくなるのです。

 仕方なく顔を洗い、仕方なくお化粧をし、仕方なく着替えて、仕方なく家をでる。

たまに出勤の道中、涙がでてくることがあります。漠然とした不安とか、自分の無駄な真面目さとか。人が手を抜く姿を見て、誰も褒めてはくれないのに、私は違う、私は真面目に働いていると、変に拘る癖だとか。そんなものに嫌気が差すのです。

生きづらくしているのは自分なのに、もう少し肩の荷を下ろして、楽観的に考えれば楽になるのに。

今日も自分の変な生真面目さを拠り所に、それだけにすがって、職場に出勤するのです。

優しい人間になりたいので、想像力を養うことにした。

 ”優しい人間になりたい”と日頃から思っています。

それは、いつもニコニコしているとか、人への態度が物腰柔らかいだとか、それだけではなく、心の中までも優しくなれないものかと考えるのです。

 朝の通勤電車。私が乗車した時、座席は2、3席空いており、その日は運良く座ることができました。席に着いて通勤鞄を太ももの上に乗せ、落ち着いた状態でふと顔を上げるとお化粧をしている女性が座っていました。はじめに持った感想は、

(なぜ、ここで?)

でした。女性は自分の座席の範囲内に収まるようにして、こじんまりとお化粧をしていました。粉が舞うようなものは使っていませんでしたし、誰かに迷惑をかけているとか、私が迷惑を被ったなんてことはありませんでした。ただ、私の”なぜ?”は、女性に対して好意的なものでは一切なく、どちらかと言えば嫌味なものでした。

 

 「想像力のない人は、優しくない。」

好きな男性のタイプの話題があがった際に職場の女性社員の方が言っていた言葉です。

想像力。もし、あの女性に小さな子供がいて、ばたばたと朝の時間を過ごし、自分のお化粧のことなど後回しで、子供を保育園に預け、急いで電車に乗ったのだとしたら?

 事実がどうなのかは分かりません。分からないからこそ、色々な見方を想像すべきなのだとも思いました。

 そして、そんな想像力のある人は恐らく感じ方さえも、優しい受け取り方をするのではないかな、と思います。見た目だけ優しいを演出することは、社会人となり多少は身につきました。しかし、優しい受け取り方をした上でそれが優しい行動に移されるのであれば、自分に嘘をつかないでいられると思うのです。

 「口紅が目立つと恥ずかしいと思うから。」そんなように、来客に対して赤いストローを用意した、優しかった先輩のように。

私も人の気持ち、生活、理由を想像していこうと思います。